2009年2月20日金曜日

1枚の絵

中学から今までに営業マンAが書いた絵の枚数です。

一枚しか書いてません。

理由はあります。

「絵が下手だから」
です。

わからない人にはわからないでしょうが、
絵が下手ということは自分の中でとんでもなくコンプレックスになってます。

実は、コンプレックスになったのには理由があります。



あれは、小学1年生のとき。

「自分の絵を今度の市の展覧会に出したい人は
先生まで言いに来なさい。」
と担任の先生が言いました。

正直、自分じゃ判断がつかないので、親に相談したところ、
「是非、出しなさい。」
と。

次の日、その旨を先生に言うと、先生は僕の絵と顔を
かわるがわる見て一言。


「ほんとにその絵を出すの?」




・・・。




幼い営業マンAは、傷ついたというよりも
「あぁ、やっぱり僕の絵は下手くそなんだ。」
という烙印を心の奥にがっちり押された気分でした。

それ以来、約33年間。
絵を描くことにずっとコンプレックスをもっています。



営業マンAが住んでいた千葉市の中学校では余計なことをするもので、
毎年春になると「春の絵を描く会」などといって、全校生徒1年から3年まで
全員がまる1日かけて絵を描く!という日があった。


思春期になった営業マンAにはこの日は本当に地獄の日でした。


しかも、更に余計なことに、描いた絵はそれぞれの教室の廊下に
貼り出されるのでした。

提出しない者は、飾られている絵の横に
「未提出者」として、でかでかと名前をフルネームで貼り出される。
提出するまで延々と貼られます。


それでも、営業マンAは絵を提出しなかった。

結局、3年間一度も出さなかった。

「未提出者」のフルネーム貼りは先生が根負けして
たいてい2学期の途中あたりで無くなるのだが、
きっちり、その見返りはあります。

いくら他で頑張っても、通信簿で美術は5段階評価で「2」以上にならないのです。

まあ、そんなわけで、営業マンAは毎年美術の通信簿は「1」か「2」だった。



・・・それでも、絵を貼り出されるよりはましだ!
と、思春期Aは思ってたんですね。



「へ?それじゃあ、一枚も絵を描いてないじゃん。
1枚の絵、ってうそじゃん!!」

ってちょっと思いましたよね?

ですよね??!!


今からいよいよその話をするんですね~。
短気は損気です。


中学2年生のとき。
その年も当然絵を描く会の絵を提出しませんでした。
いっくら、しつこく美術の先生に催促されてもです。


ところが、2年のときの美術の先生は他の先生とちょっと違いました。

この頑なな思春期Aの態度を見て

「あ~、この子は絵を描くことにコンプレックスを持っているんだな。」ということに
気がついたのです。


名前は林先生といいました。

髪の毛がもじゃもじゃで、おばQに出てくるコイケさんの
メガネないバージョンみたいな、いかにも美術の先生と
いった感じの人でした。

他の先生は
「どうせ、面倒くさいから絵を出さないんだろう。」
と思っていただろうに、何故か林先生は思春期Aの気持ちを
察してくれたのでした。


林先生は、授業中、とにかく思春期Aのことをほめました。
心の奥に押されたコンプレックスという烙印を消そうと
一生懸命だったのでしょう。

当然、林先生のそういう態度は思春期Aにはすぐ理解できました。
思春期Aがそんな先生と知り合えてどれだけ嬉しかったかは
言葉じゃ説明できません。


そんなある日、美術の授業で絵を描くことになりました。
まあ、美術の授業ですから絵を描くこともありますわな。

思春期Aは絵を描くのは本当に嫌でしたが、
「林先生の気持ちを無にしてはいけない!」
という思いだけで、一生懸命絵を描きました。

それが、このブログのタイトルの1枚の絵なわけです。

中学時代に唯一提出した絵でした。

そのときもみんなの絵を黒板に貼り、一枚づつ林先生は評価していきました。

林先生が優しいのは明らかに見劣りする思春期Aの絵をことさらに褒めてくれるのです。



その後も、林先生のときだけちゃんと頑張った思春期Aはなんと、中学時代唯一、
美術で「3」を取ったのでした。
「春の絵を描く会未提出者」としては異例のことでした。(おおげさ?笑)



それっきり、やっぱり絵は描いてません。
一枚の絵はそれ以上増えませんでした。

そういう意味では、林先生の意志に報うことは
できませんでした。
先生の期待は裏切ってしまったかもしれませんね。



でも、林先生。
絵を鑑賞するのは好きな人間になりましたよ。



―完―



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